氷川神社

氷川神社について

御由緒

氷川台の総鎮守 大氷川

1457年(長禄元年)に創建されたと伝えられています。
室町時代の武将・渋川義鏡が古河公方の足利成氏との戦の途上、
下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀みに泉を発見し、
そこを水際の井戸・「御浜井戸」と名付けました(現・お浜井戸・桜台6-32)。
そこに須佐之男尊を祭り、9月5日に武運長久を祈ったことに始まります。
1477年(文明9年)江古田原の戦いの為に焼失し、
江戸時代の延享年間(1744年〜1748年)に現在地に移転・再建されました。
氷川台の町名はこの当神社に由来すると伝えられています。
氷川神社発祥の地 「お浜井戸」

御祭神

主祭神

すさのほのみこと

須佐之男尊

氷川神社の御祭神は須佐之男尊(すさのほのみこと)。
ヤマタノオロチを退治して得た草薙の剣は、三種の神器の内の一つとしても有名である。
嵐・暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神として信仰されています。
代表的ご利益/厄除け

相殿神

うかのみたまのかみ

宇迦之御魂神

八百万の神の中で代表的な食物神。「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれています。「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と崇められ、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として広く信仰されています。
代表的ご利益/商売繁昌
すがわらのみちざねこう

菅原道真公

逆境の中でも国家のご安泰と天皇様のご平安を念じられた道真公は、神の御位に昇られました。学問に秀でていたことから学問の神、文化の神として長く人々の信仰を集めています。
代表的ご利益/合格祈願
おおくにぬしのかみ

大国主神

出雲に大国をつくった国づくりの神であるオオクニヌシ。スサノオの子孫で、因幡の白兎を助けた心優しき神様である。多くのご縁に恵まれたことから良縁祈願の神様としても信仰されている。
代表的ご利益/良縁祈願

文化財

氷川神社には歴史的にも意義のある
文化財が多数納められています。
みこしとぎょぎょうれつずえま

神輿渡御行列図絵馬

練馬区指定有形民俗文化財
1910年(明治43年)奉納。春祭りで行われる「お浜井戸の里帰り行列」(江戸時代から行われ、現在も3年ごとに行う)を描いた絵馬。サーベルを持った巡査が先導し、太鼓や旗を持つ50人余が、石神井川沿いを行列している様子が克明に描かれています。
ひかわじんじゃのこまいぬ

氷川神社の狛犬

練馬区登録有形文化財
1787年(天明7年)造立。獅子型で対をなし、いずれも高さ60cmの石造。向かって左側の「吽形像」の台石の背面には、「天明七年(1787年)」の銘がります。区内の神社に残る狛犬としては最古のものです。
かくちゅうがたすいばん

角柱型水盤

練馬区登録有形文化財
1747年(延享4年)造立。幅50cm、奥行46cm、高さ61cmの石造。正面に「延享四年下練馬上宿」の銘があります。角柱型の水盤として、区内神社に残る唯一のものです。
おおひかわのちからいし

大氷川の力石

練馬区登録有形民俗文化財
力石は江戸時代後期から明治時代にかけて、関東地方で盛んに行われた若者の力試しに使われた河原石で、持ち上げた石に重量や姓名を刻んで奉納しました。なかでも「六拾貫目」の切付がある力石ちからいしは、区内でも大きな部類にはいるものです。
つるのまい

鶴の舞

練馬区指定無形民俗文化財
江戸時代から伝わる鶴の擬態芸能。氷川神社の春祭「お浜井戸の里帰り」の際に行われる芸能で、現在は3年に一度、4月第二日曜日に実施されています。保持団体は、氷川神社宮宿鶴の舞保存会です。
みこしとぎょのおともどうちゅうか

神輿渡御の御供道中歌

練馬区登録無形民俗文化財
江戸時代より伝わる氷川神社春祭「お浜井戸の里帰り」の際に唄われる神輿渡御の御供道中歌です。保持団体は、氷川神社宮宿鶴の舞保存会です。
くさずりびきずえま

草摺引図絵馬

練馬区登録無形民俗文化財
江戸時代中期(18世紀半ば頃)の制作と推定される役者絵馬。横長の板3枚を並べて1枚に用い、周囲を縁取るように枠木を付けています。縦96.5㎝、横122.8㎝の大きな絵馬です。区内には数少ない江戸時代の役者絵馬です。
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